それから僕達は、いろんな曲を協奏した。彼女は自分のことを音の妖精だと言ったが、どうやら嘘ではなかったらしい。その歌声は、今まで聞いた誰の歌声よりも素晴らしかった。プロのコンサートなんかも何度か聴きに行ったことがあるけど、それよりも上だと言わざるを得ない。
それほどの彼女の歌は完成されていて、不覚にも感動をしてしまった。一緒に演奏していること自体が奇跡のように感じられ、気づけば何曲も何曲も、演奏し、それが終わる頃にはなにもかもがどうでも良くなっていた。
「おつかれ、クリス」
「……うん、お疲れさま」
フォーニはあれだけ歌った後なのに、息一つ切らしていない。まだまだ歌い足りないと言う顔はしていたものの、僕の方は病み上がりと言うこともありへとへとで、これ以上は無理そうだった。
でも、アンサンブルが一応の終わりになるまで、ほとんどそれに気づくことはなかった。それほどに集中して、音楽を作りあげていた。
「……ふう」
大きく息を付いてベッドに寝転がる。アルへの手紙はまだ書いていなかった。でも、明日にでも書けばいいだろう。どのみちこれから書いても、ポストの手紙を郵便局が回収するのは明日だ。それよりなにより、書く内容もまだ決まっていない。
フォーニとのことを書いても、きっと信じてはもらえないだろう。僕でさえ今でも疑っているくらいだ。他の人には見えなかったとフォーニは言っていたけど、アルには見えるんだろうか? そして、いつかここに来たときにでも、フォーニと話す日が来るんだろうか。
「はあ、気持ちよかったね」
「え? ああ、うん」
音楽を純粋に楽しいと感じられるのは、幸せなことだ。風邪や、止まない雨のせいで落ち込んでいた気分も、今ではすっかりと元通りになっていた。
「それで、僕はもう寝るけど、フォーニはどうするの? というか、いつもはどうしてるの?」
「私? 私は消えて、好きなだけ休んでるよ」
「……消えて?」
「うん」
と言った次の瞬間、ぽんと奇妙な音を立てて、フォーニはその姿を消す。そしてまたすぐに、同じような音を立てて元いた場所に現れた。
「こんなふうにね」
「……はあ」
なんというか……。不思議生物に物理法則なんかを問いただすつもりはない。でも、あまりに現実離れした光景を見せられると、それが実際に目の前で起こったことでもあるに関わらず、信じられないような気になる。消えたままフォーニが二度と現れなかった方が、まだ真実味があっただろう。
「あ、でもクリス。ご飯はどうするの?」
「今日はもういいや。明日にでも考えるよ。とにかく今は眠いんだ。疲れてるし、病み上がりだから」
「やみあがりって……風邪でも引いてたの?」
「昨日までね。今日もあんまり良くはなかったんだけど、アンサンブルしてるうちにそうでもなくなったかな」
「そ、そうなんだ。言ってくれれば良かったのに」
「いや、一緒にアンサンブルできて良かったと思ってる。なんだか、今ではフォーニのこと、信じられそうな気がする」
「……なによ、今まで信じてなかったの?」
「もちろんね。それが普通だと思うよ」
「ま……それもそうか」
納得したようにフォーニは笑った。
「そう言えば、妖精はご飯は食べないの?」
「うん、食べないよ」
「……そう。ならもうなにもつっこまないよ。とにかく僕は寝るね」
「あ、その前に一つだけお願い」
「ん?」
「窓辺まで連れてって」
フォーニは窓の外を指さして、そこに行きたいという意志を示した。
「構わないけど、なんでまた?」
「空でも見ようかと思って」
「この街では雲しか見えないよ。ずっと雨が降ってるんだ。一年中止まないんだって」
「……あめ?」
「そっか……雨は知らないんだ」
そっと、最初よりは力を入れずに握り、それからもう一方の手に乗せる形にした。握るよりは幾分不安定だけど、羽で上手く調節しているのか、転びそうな気配はない。
「……ん? そういえばその羽は? さっきから浮いてるように見えるけど、飛んでいけないの?」
思い返してみれば、最初も机の上にあげてくれって頼まれたっけ。
「それがね、この羽も万能じゃないのよ。十センチくらいのとこで浮いてはいられるんだけど、それ以上高いところに行くと、どんどん落ちてっちゃうの」
「……それって、どんな感じ?」
「こう、すいーっと斜めに落ちていく感じかな」
どんなものかと、試しにフォーニを載せている手を横に倒してみる。
「わ! わあ!」
とっさにごめん、と謝って受け止めようとしたけど、驚いた声の割には悠々と、まるで鳥が空を滑空するように滑り降りていった。
「ちょ、ちょっとクリス!」
ただ、まっすぐには降りられないのか、ずいぶん離れた位置でフォーニが僕に声をかける。
「……ごめん。ちょっと試してみたくなって」
「早く窓にのっけてってば! あと、次やったら酷いからね」
「……はい」
小さい割にはすごみのある声でそう言い、フォーニは再び僕の手のひらの上に乗った。
今度は真面目に、窓辺に手を近づける。そのままぴょんとジャンプして、フォーニは窓の外を眺めた。
「これが雨。この街ではめずらしくもないんだってさ。ニンナさんとトルタが……あ、僕の知り合いなんだけど、教えてくれた。その前にも本か何かで読んだことはあったけど、こうして実際に体験してみないと、わからないものだね」
「……雨、か」
フォーニは窓の外の風景から視線を逸らさずに、しばらくじっとしていた。空から水が振ってくるという事実に、驚いているのかもしれなかった。
「じゃあ、僕は寝るよ。電気は消しても大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫」
その声は小さく、今にも消え入りそうだった。
「どうかした?」
「ううん、なんでもない。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
この異常な状態にも、僕は慣れつつあった。彼女の歌声を聞いてしまったら、もう本当にどうでも良くなってしまった。音の妖精だとか、フォーニという僕が適当につけてしまった名前だとか。
そういうものを全部含めて、つまり僕はその存在を信じようという気になっていた。明日の朝、起きたらいなかったなんてことがあったら嫌だな……なんて考えながら、その日は眠りについた。
そして次の朝、僕の期待は裏切られることはなかった。
誰もいない部屋で一人目覚めるのではなく、誰かの声で目覚めることが、こんなにも心を暖かくすると言うことを、改めて知らされた結果となった。もっとも、その起こし方には問題があったけど。
そして僕はフォーニに言ったんだ。
――改めて、よろしく、って。
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