――僕とアルが付き合うようになったのは、今から半年前。
きっかけは、特になんでもないようなことだった。
アリエッタを好きだと自覚をしたのは、そんなに昔のことじゃない。
幼なじみの双子の姉妹は、とにかく距離が近すぎて、ある時までは親友という位置づけにしか思ってなかった。
共に遊び、共に学び、家族のように接し、時には家族以上に同じ時間を過ごしていたから。
アルやトルタを異性だと意識するようになったのも、本当につい最近のことだった。
そして、トルタではなくアルを選んだのも、ささいな理由からだったと思う。
言葉にしてしまえば陳腐で、どうでもいいことに思えるけど、アルには僕が必要だったんだと感じたからだった。
トルタは、歌の才能に恵まれ、それに見合う努力もし、実力で未来をつかみ取った。
もちろんアルだって、自分の好きなことを見つけ、それに対して努力をして、彼女なりの未来を築きあげている。
共に進むのなら、共通の音楽の道に進むトルタを選んだ方が良いと、周りの誰もが思っていた。
でも僕は、アリエッタを選んだ。
それぞれの両親もそうだったけど、そのことに一番驚いていたのは、アル本人だった。
アルは、歌が上手くないことで自分にコンプレックスをもっていた。
いや、今でもそれは、なくなったわけではないだろう。
国をあげての文化である音楽という分野で、妹は実力を認められている。
その事実に、彼女は思い悩んだんだろう。
籍は残しているものの、音楽教室に通わなくなり、だんだんと内にこもるようになった。
でも音楽自体は大好きで、僕達の演奏を時折聴きに来たりしていた。
いつも遠くから、誰にも気づかれないように、じっと僕達のことを見つめていたんだ。
その視線に気づいたとき、僕はアルのことを好きになったんだと思う。
人に認められるような美しい歌声。それは確かに素晴らしいことだろう。
でも、美味しいパンを作れることだって、それと同じくらいに素晴らしいことだった。
アルが不当な劣等感を抱いていること自体が不自然なのであって、彼女はもっと、自分のことを誇らしく思うべきだった。
でも彼女は弱く、それを認めてくれる人を必要としている。
……でも実際の所はそんな大層なことでもなく、結局僕が、彼女のことを好きなだけだった。
長い物思いから覚めるころには、辺りは完全に暗くなっていた。
ふと視線を横に向けると、アルはいつものように、静かに僕の横顔を見つめていた。
こういうとき、彼女は何も言わず、僕が戻ってくるのをひたすらに待っている。
「ごめん。ちょっと考え事してた」
「なにを考えてたの?」
軽く笑いながら、アルが訊ねる。
「昔のこと……アルに好きだって言った時のことかな」
アルはまだこの事実に慣れていないのか、顔を赤らめて下を向いた。
その仕草がかわいらしく、思わず抱きしめたくなる。
でもまだ、僕達は手を繋いだことすらなかった。
「……と、とにかく。えっと、おめでとう」
「ん?」
「音楽学院に合格したこと」
「ああ、ありがと。でも僕の場合は、フォルテールが弾けるだけだから」
「だけじゃないよ。だってずっと、一生懸命練習してたじゃない」
「音楽が好きなだけだよ。一生懸命やってるつもりなんて、特になかったし」
「そう思えるのなら、それはとても良いことだと思うよ」
「……うん、ありがと」
真面目ぶったアルのその言葉も、彼女らしくてなんだか嬉しかった。
それだけで、今まで練習してきた甲斐があったと思える。
思わず微笑んでしまい、照れくさくてそれを隠すために、そっぽを向く。
それと同時に、アルが暗い口調で突然話し始めた。
「でも……そうすると、三年間会えなくなるんだね」
「……え?」
すぐに彼女の方を振り向くと、街灯に照らされた悲しそうな横顔が印象的に映った。
辺りに人気はない。
国の中でも北に位置するこの街は、冬ともなれば凍えるような寒さになる。
寒々しい風景の中にいるアルを、今度は思うだけでなく、気づけば抱きしめていた。
胸の中で、アルが小さく声を上げる。
内容は聞き取れなかった。
でもきっと彼女のことだから『ごめん』とか『ありがとう』とか、そんな言葉だろう。
例えそうでなかったとしても、彼女を抱きしめる手を緩めることはない。
しばらくそうして抱きしめあい、それからアルは、僕から少し離れて最後に言った。
「本当に、おめでとう」
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